すでに還暦をすぎ、恋も子育ても、辛いことも苦しいことも、花も嵐も乗り越えてきて、経験値はありすぎるほどある北海道に住む心のやすらぎアドバイザーたかはし落実(たかはしおちみ)です。
還暦をすぎても、みなさんからは「おちみちゃん」と呼んでもらっています。
近所の児童会館で10年間、管理人のおばさんをしたり、昔、小学校で土曜日が休みだったころには土曜日の体育館で子どもたちと過ごす学校開放の管理人のおばさんでした。土曜日には子どもたちと一緒に遊んでいました。おばさんなのに、今でも、当時の子どもたちから「おちみちゃん」と声をかけてもらって喜んでいます。
子どもが幼かった頃には、子育てサークルを作って代表になり活動しました。ニコニコキンダークラブという名前を付けた、その子育てサークルは13年も続きました。
わたしはお母さんという「仕事」がしたかったのです。でも、お母さんになりたかったけれど、なかなかお母さんにはなれず、不妊や流産に苦しみました。
ヨガや断食や食事療法、いろいろなことをして、やっと男の子と女の子のお母さんになれたと思ったら、今度は激動の日々が待っていたのです。
子育ては、思いのほか苦労の連続で地獄に住む滅私奉公の奴隷のようでした。
生まれてすぐに娘は血を吐いて未熟児センターに緊急入院してしまいました。
出産の翌朝には、目を酷使してはならないという日本の掟を破り、目を皿のようにして、生まれたての赤ちゃんが血を吐く原因をさぐろうと分厚い病気の辞典から、なにからかにまで読み漁ったものです。
お産の翌日から全力疾走して、産院から汗だくになりながら娘の入院先にいきました。
お産の後は、21日間安静なんてなんのその。無理に無理を重ねたため、わたしゃ早くに老けるだろうと覚悟したのですが、還暦すぎてみると、意外と老け込んでもいないと自分では思います(自己申告悪しからず)
もちろん身体にとって無理は禁物ですが、自分で自分に呪いをかけて、悪い未来を想像しなくても良いのだと、この経験からお伝えします。産後であろうとなかろうと、入院先の我が子に会うために毎日走って通うことは、お母さんのわたしにとっては走らない、行かないという選択の余地がありませんでした。
その次には、赤ちゃんが7か月になっても首が座らない事件勃発、肝が冷える日々でした。
もはや、未来は真っ暗闇とどん底の気分でしたが、どんな子どもであっても愛を注いで、育てると決めました。
知っていることがあるということ、自分に何が必要なのかわかること、それを理解し、行動にうつすこと、そこから、何も意識せずとも、瞬間瞬間、良心の選択が習慣となること、思いやりと愛で過ごすことが当たり前にまでなれるように、学びながら暮らしてきました。
何とかなるものです。
全く新しい観点から作り上げられた心理学を学ぶことで、今まで思い描いていたものとは全然違う、明るく楽しい未来を手にすることができるのです。
子育て中、眩暈がするような出来事がいっぱいでどうなることかと思いましたが、いま、わたしの子どもたちは幸せに暮らしています。
そんな自分の体験から心理学の本を書きました。
北の魔女からの手紙~本当のあなたで生きるための魔法のスキル~
こんな時どうしたら?
苦しくて苦しくて、そこにとらわれて、忘れたくても忘れられない辛い出来事が起きたときのヒントをたくさん書きました。
この本は中学生や高校生の方たちが、手に取りやすいように、お小遣いでちょっと買える金額にしてあります。アイスクリームのハーゲンダッツを一つ食べるつもりで、読んでみてください。